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へなちょこの自分と、完璧な自分との対話です。

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2012/03/15 Thu
私は何で他人に対して、卑屈になったりするのでしょう?

「卑屈さ、それもまた、一つの攻撃性だ。
人間の本質には、強い攻撃性があるのだよ。
卑屈さとは、自分を劣った者として卑しめる行為だね。
あなたもそうだが、多くの人は、自分をより大きく見せたい、つまり何かを自慢したいと考えるだろう?
高慢さは、わかりやすい攻撃性だ。
あなたは、自慢する心の醜さを知っているからこそ、その攻撃性をマイナスのベクトルに変換したのだ。
それが、卑屈さだよ。」

「つまり、向かう矛先が違うだけで、卑屈さも、高慢さも、同じエネルギーが基になっている。
それは、分かるだろう?
したがって、卑下する者の本質は、自分だけでなく、他人をも見下しているのだよ。」

ふむ。
では、何故、人間の特性には、攻撃性があるのでしょう?

「理由は、簡単な事だよ。
赤ん坊は、産まれてくる時、笑わないで泣くだろう?」

それと攻撃性に何の関係があるのでしょう?

「全ての攻撃性の原因は、恐れだという事を、前に話さなかったかな?
つまり、人は強い恐怖を伴って産まれて来るのだよ。
恐怖、それが人間の特性だ。
だから、人が誕生するという事は、それだけ勇気が必要な事なのだよ。」

では、何故、人には恐怖が必要なのですか?

「私には、恐怖などない。
だからこそ、あなた方は、私になる為に、恐怖について調べなければならない。」

その為に必要な恐怖って事?

「もちろん、あなただって、その気になれば、恐怖からは自由になれるよ?
だが、もし、あなたが、生きる事を恐れているなら、恐怖に取り込まれてしまうだろうね。
そういった意味では、人は恐怖と上手く付き合う事は必要だろう。
つまり、生きる事を恐れなければ、恐怖などはないのだよ。」

恐怖の原因は、生への恐れなのですか?

「そう、だから生きる事を恐れない者は、死を恐れない。
本来の死とは、逃避の結果ではないのだからね。
もっとも、過去の原始的な社会では、人は恐怖を利用しないと、生きていけなかった。
つまり、恐怖は、生存に必要な要素だったのだよ。
だが、今、多くの人達が、恐怖とは何かを見出しつつある。
それは、喜ばしい事だよ。
もちろん、今でも恐怖を利用して、活動を続けている存在も、いるにはいるがね。」

恐怖にまつわる、過去からの情報が、人類の遺伝子なんかに刻まれていると。
そんな感じなんですか?

「まあ、そういう見方も出来るだろうね。
だが、人類の抱える恐怖、つまり攻撃性は、明らかに動物的なものと、これまでの社会によって引き継がれて来た伝統的なものだ。
もちろん、そういった過去からの呪縛も、愛であるなら解き放つ事ができる。
だからこそ、社会が恐怖を利用する限り、また、人々が恐怖を受け入れ続ける限り、いつまでたっても調和などはあり得ないのだよ。」

それが卑屈さをも生み出すって事ですか?

「生きる事を恐れているのであれば、当然そうなるだろうね。
もちろん、わざとらしさのない慎み深さ、そして思慮深く控えめな人に好感が持てるのは事実だ。
よって、処世術として謙遜が必要な場合もあるだろう。
だが、あなたの場合の謙遜は卑下であり、いわゆる謙虚さと大きく質が異なっている。」

どういう事なのですか?

「つまり、こう言うことだよ。
あなたは、対象が存在しないと、自分が何者なのか判断ができない。
だからこそ、相手にとって、自分がどんな存在であるのかを確認する為に、さらに、相手がどんな存在なのかを探る為の手段として、謙遜、つまり卑下を使うのだよ。」

要するに、駆け引きですか?
まあ、人と接する時、卑下の方が、自慢よりはマシだと考えるんでしょうね。

「だが、自慢も卑下も、同じレベルでの攻撃性なのだよ。
度が過ぎれば、嫌味にもなるのだから。」

なるほど。
確かにいやらしい感じがしますね。

「そう、下心があるからこそ、あなたは、卑下を使うのだ。」

下心か。
いや、自分の本心は、なかなか自分では、気が付かないものですね。

「いや、殆どの場合、行為の中に動機が含まれている。
だから、その行為が何を意味しているのかを探ればいいのだ。」

では、私の場合、卑下を使う動機は何でしょう?

「つまり、あなたは、ありのままでいられない。
今のあなたに満足できないのだ。
だからこそ、あなた自身の価値を卑下でもって、吊り上げようとするのだよ。」

そんな事はないよと、誰かに言って欲しい。
誰かに慰めてもらいたい。
だからこそ、自分の価値を操作しようとしているのですね。

「ありのままが、真の美しさであり、自由であり、平和なのだよ?
そして、ありのままの否定こそが、攻撃性の原因なのだ。
つまり、あなたは、ありのままの自分で生きる事を恐れているのだよ。」

確かに、ありのままの自分でいる事は、大変な勇気が必要です。
嫉妬や、恐れから自由になっていなければ、ありのままの自分ではいられませんからね。
では、向上心は必要ないのですか?

「私は、あなたに何も求めない。
もちろん、できない事ができるようになる事は、素晴らしい事だよ。
だが、それができようが、できまいがあなたの価値は変わらない。」

でも、それでは、人は自堕落になってしまいませんか?

「できるできないより、あなたが愛しているものを見つけ出す方が、よっぽど重要な事柄なのだよ。
好きな事や、本当に大切な存在があるのなら、人は決して自堕落になどならない。
つまり、あなたが、ありのままを生きる為に必要なのは、愛だけであって、向上心も勇気も、本来は不必要なのだよ。
それが、真実だ。
だからこそ、私に言わせれば、ありのままを認められない事の方が、はるかに自堕落なのだよ。
あなたは、生きる事を恐れるからこそ、卑屈や、怒りと言った感情を繰り返すのだ。
では何故、人がありのままの自分を認められないのか分かるかな?」

何故でしょうね。

「社会は常に、あなた方に対して取り引きを持ちかけてくるからだよ。
これが、できなければ、愛してやらない。
つまり、愛が取り引きに成り下がったからこそ、人はありのままでいられなくなったのだ。」

愛の取り引き。
それが、ありのままの自分自身の否定に繋がるのですね。

「そうだよ。
もちろん、私は、取り引きそのものを否定している訳ではないよ。
愛は、取り引きではないと言っているのだ。
要するに自己顕示や、媚びへつらいは、単に駆け引きや、取り引きの技術なのだよ。」

「私と、同じように、あなた方は、全知全能の存在だよ。
だから、あなたが、愛であるのなら不可能はない。
ありのままの否定は、攻撃性の受容であり、愛の否定だ。
それを忘れないで欲しいな。」
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