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2012/02/04 Sat
今回は、感情の話についてのお話を聞かせて下さい。
よろしくお願いします。

「そうだね。
感情とは、つまり、私の声なき声の事だよ。」

では、あなたが、感情なのですね?

「そうだ。
しかし、私は、深い安らぎと喜びそのものだ。
したがって、あなた自身が生み出した感情もある。
つまり、怒りや悲しみなどがそうだよ。」

私が生み出した感情もあるのですね?

「そう、あなたが創り出した感情もある。
だから、私と、感情について語り合うのなら、まずは、あなた自身も扱いに苦労している“怒り”からはじめようか。」

はい。
ありがとうございます。

「では、あなたが怒りを感じるのはどんな時かな?」

そうですね、人生が思い通りにならない時ですかね?

「では、ここで、はっきりさせておこう。
いわゆる、攻撃性の全ては、恐れから発生している。
例えば、仕事を失う恐れ、恋人を失う恐れ、家族を失う恐れ、信念が打ち砕かれる恐れ。
人は、それらの考えに固執するから、怒りが湧くのだよ。
あなたの場合は、人生は思い通りにならないのではないかという考えに固執した恐れだね。
それが原因であなたは、怒る。」

なるほど。
私は、人生が思い通りにならないのではないかと、恐れているからこそ怒るのですね?

「そう。
だが、心配しなくても、あなたの人生は思い通りになっているよ。
もしも、あなたに目的があるのなら、近道や回り道はあるけれど、きちんとそこに向かっている。
もちろん、辛い思いや苦しい思いもするかも知れない。
しかし、その辛い思いも、その目的に向かう糧なのだよ。
常に、あなたは私に向かっている。」

あなたがそう言うのですから、恐らくは、その通りなのでしょう。
しかし、私は、そんな辛く苦しい思いは、出来ればしたくありません。

「もちろん、辛く、苦しい思いをしなければならないという訳ではないよ。
辛いだとか、苦しいといった思いは、あなたの主観であり判断に過ぎない。
登山を楽しんでいる人のように、険しい道も喜びをもって歩む人もいるだろう?
しかし言いたいことは分かるよ。
だったら、考えを変えなさい。
部分から、全体になれるように努力しなさい。
限定的な物の見方を変えなさい。
あなたは、まだまだ愛の部分だね。
全体ではない。
愛とは一体性かつ全体性なのだから。」

では、私は可能な限り、怒らない方がいいのですか?

「そんなことはないよ。
だが、怒りを表に出すのも、怒りをなだめるのも、相当なエネルギーを消費するね。」

それは、当然だと思います。

「もちろん、愛とは自由そのものだから、あなたは、自由に怒っていい。
しかし、怒りの感情は、あなたが生み出したものだ。
それは、先にも述べたね?」

はい。

「あなたは、何も知らないからこそ、恐怖に駆られ、怒りが湧くのだ。
だが、私は、全てを知っており、全てに満たされているから恐怖はない。
したがって、私は怒らない。」

なるほど、要するに、あなたは自由なんですね。

「もちろん、怒る時を除いてだがね。
だが、私は必要性の領域に存在していないから、怒る必要がない。
何も必要としない私には、当然、怒る理由も存在しないのだよ。」

では、何で怒りという感情が存在するのですか?

「一つは、怒りという感情を通じて、私を知る為。
もう一つは、この、相対的な世界では問題を解決するのに、怒りが必要な場合もあるからだよ。
しかし、それは、相手を思いやった行為に限られるがね。」

人を思いやる怒りですか。

「そう、だから、あなたも、それを踏まえた上で、好きなだけ怒ればいい。
どのみち、怒りに対して自由でなければ、怒りからは開放されない。
ただ、ここで注意しなければならないのは、怒りが憎しみに変わる事だね。
怒りに油を注ぐ、この場合は、怒りに対し、あなたのエゴがでっちあげた、自分勝手な妄想を注ぐと、憎しみになるのだよ。
だから、怒りが憎しみに変わったら一度落ち着いて、よく考えた方がいい。」

では、憎しみとは、一体どのようなものなのですか?

「憎しみとは、その人の自尊心が創り上げた、自己防衛的な反応だよ。
つまり、自分の怒りを正当化させる為の理屈だ。
そして、人が憎しみに取り憑れると、いずれ、その快楽に溺れてしまう。」

それでは、憎しみとは快楽なのですか?

「そう、強い攻撃性とは、実は、快楽そのものなのだよ。
それは、動物的から受け継がれてきた特性によるものだ。
しかし、それに溺れる人は、他人にも必ず嫉妬している。」

つまり、攻撃性が強い人は、嫉妬深いという事ですね。
では何故、人は、他人に対して嫉妬するのでしょう?

「相手が、自分と同じ土俵に立っていないと思うからこそ、人は嫉妬するのだよ。
それを引き摺り下ろしたい、さらに見下したいといった心の作用が嫉妬と呼ばれるものだ。
嫉妬とは、人に対して比較する心や、独占したいといった強い欲望が生み出す、負の感情だよ。」

何かを独占しようとする心が、嫉妬を生み出すのは理解できます。
それが、手に入らなければ、恨みが生じるでしょうから。
では、もう少し詳しく、比較する心が、嫉妬に繋がる理由についてお話願えませんか?

「そうだね。
もちろん、私は、比較する事が悪いと言っている訳ではないよ。
だが、誰かに対して、比較を行なう者は、必ず嫉妬をしている。」

それは、何故ですか?

「比較が有効なのは、空間や有体物なのであって、人に対しては上手く機能しない。
つまり、人は物ではないという事だよ。
人を物扱いした、その代償が嫉妬なのだよ。」

なるほど。
独占も比較も、人を物のように扱っている行為なのですね?
しかし、比較を否定するなら、何でも平等といった、悪平等に陥る危険もあると思いますが…?

「全てが平等であれといった考え方にも、実は比較が存在している。
つまり、その考え方の根底にあるのは、平等になれない嫉妬だよ。」

では、私が嫉妬から自由になるには、一体どうしたら良いのですか?

「自分自身であるなら、あなたは絶対に嫉妬しない。
何故なら、他人の土俵で勝負しないからだ。」

なるほど。

「もっとも、人には、独占したがる欲求や、独占されたがる欲求も存在している。
さらに、勝敗に拘った生き方だってあるだろう。
だからこそ、そういった自分の内面を認め、上手に付き合って行く事が大事なのだよ。」

分かりました。
では、純粋な怒りが、嫉妬や憎しみに変化しないよう注意するのですね。

「そうだよ。
比較が存在しないところには、嫉妬はないし、許す意思があるなら人は誰も憎まない。
改めて言うが、攻撃性の原因は、恐れだよ。
恐れがなければ、自虐的になる事も、排他的になる事もないのだからね。
もちろん、あらゆる憎しみはフィクションだよ。
それが、どんなに真実に見える事でもね。」
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