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へなちょこの自分と、完璧な自分との対話です。

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2012/11/27 Tue
果たして、嫉妬や妬み恨み、そして争いなどと無縁の平和な世界が、人間などに創り出せるのでしょうか?
もしも、それが可能であるなら、なぜ、今の今までそんな世界は存在しなかったのでしょう?
他の誰かが言うように、誰かや、何かの陰謀の所為なのでしょうか?
ほとんどの人は、メディアや社会といった何かにコントロールされていて、自分の意思を持てなくなっているのでしょうか?
そうしたものを、拒絶し反発すれば、平和になるんですか?
平和は戦って奪うものなんですか?
自分でも、随分おかしな事を言っているのは分かりますよ。
ですが、今までのように、戦って奪い取らなければ、得られないのでは、何も変わらないじゃないですか?
違いますか?
意識の低い人、劣った人、暴力的な人、浅はかな人、欲深かな人を、攻撃し排除すれば、それが平和なんでしょうか?
教えて、下さい。
人は、どのように生きればいいのでしょう?

「大分イラついている様子だね。
もっとも、一度にあなたの質問に答える事は出来ないから、少し順を追って話をしようか。
少し落ち着くといい。
感情がコントロールできない時に何かをするのは、お薦めできないな。
良い考えも浮かばない。
そうだろう?」

そうですね。
少し深呼吸でもしてみます。

「それはいい考えだな。」

落ち着きました。
始めましょう。

「では、聞くが、あなたの考える平和な社会とは何であるのか?」

そうですね、自立して、他人を尊重できる社会です。
コントロールされず、自分の意思を持って生きる人。
そして、国や主義、そしてあらゆる信仰の垣根を越え人々が、仲良く出来る人が築く社会です。
上手く言えませんが。

「ほう、なるほど。
それは素晴らしい社会だね。
もちろん、私は、あなたの言うところの平和な社会を知っているよ。
それは、遠い昔か、未来に存在した平和な社会だな。
誰もが、尊厳を持っており、いがみ合う事もないし、貧困すらも存在しない。
人々は、好きな事だけをやって暮らしているから、不幸もない。
それを生み出す事は果たして、可能なのかどうかを、私に訪ねているのだろう?
結論を言うのなら、それは可能だ。
何か特別な事でも、特に難しい事でもない。
そして、今の地球は、その世界へと向かっているよ。」

では、安心していいのですね?

「もちろん、安心してよろしい。」

では、どうすれば、それを創り出す事が出来るのでしょう?

「それは、創り出す事は出来ない。」

どうしてですか?

「それは、到達するものではないからだよ。
そうあるものなのだ。」

もう少し分かりやすく説明してくれませんか?

「つまり、そうした世界は、国境もないし、集団や民族や宗教の隔たりもない。
実は、そうした世界には宗教も、王と言った権威や国家すらも存在しないのだ。
だから、争う理由もない。
民族の違いや、性別、更に肌の色や、考え方が違うと言って、差別する事もないし、ましてや、人の命を奪おうなどと考えるものもいない。」

それは、理想だと思いますが、可能であるなら、どうすれば、そうした世界が出現するのでしょう?

「断っておくが、私は、理想について語っているのではない。
それは、現実として存在する。
あなたがもし、それを目の当たりにするなら、天国だと感じるだろうな。
そうした社会の事だよ。
どうすれば、その世界は出現するか?
それは、至極単純だ。
あなた方一人一人が、そうあればいい。」

いや、多くの人は、その為に努力していますよ!

「努力は認めるが、それは必要ない。
何故なら、その世界は、必要性のない世界だからね。
前にも言ったが、目に見える世界とは、あなた方一人一人の内面が、反映されたものに過ぎない。
よって、どんなに高度な方式を発明し採用しようとも、あなた方の内面が満たされず貧しいのであれば、そこに自由はないし、平和はないだろう。
だが、嫉妬や争い、そして競う事の意味を理解し、平和に生きるものは、例え監獄にいようとも、自由である。
それは分かるね?」

分かります。
でも、実際自由でないのに、自由のふりをすれば自由になれるんですか?

「自由な者は、どこでも自由なのだよ。
自由とは、好きな事を、ただするだけの放縦さではない。
自分が何をしているのか、はっきり自覚しているからこそ、自由なのだ。
だから、まず、あなたがそうありなさい。
馬鹿にされ、蔑まれようとも、ただそうありなさい。」

しかし、私は自分自身の欲望から自由になれそうにありません。

「なるほど。
では、その欲望とは、どのようなものなのか?」

例えば、褒められたい欲求、豊かに暮らしたい欲求、有名になりたい、人より上に立ちたいと言う欲求です。
どうすれば、私はそこから自由になれるのでしょうか?
しかし、それが可能だとして、例え、私一人が、そうなったとしても、社会はどう変わると言うのですか?

「少なくとも、あなたの世界は、昨日までと違ったものになるだろう。
それで、十分ではないか?
他人を変えようと思うか?
平和に啓蒙が必要か?
他人を変えようとする試みは、ことごとく失敗してきたが、あなたはそれについてどう考えているのか?
それは、欲望ではないのか?
欲望が、この世界に影を生み出しているという事実を無視するのか?
徳や、美は、つまり善なる心は、決して欲望からは生まれない事は理解しているだろう?
だからこそ、それを手放してこそ、人は初めて輝きを放つものだ。
よって、それを手放さない限り、自由や平和は絶対に手に入らない。
逆に言えば、あなたは、平和や自由を手にしているからこそ、その欲求から自由になる事が出来るとも言えるな。」

では、どうして、それを持っていないのに、手放す事が出来るのです?
その努力は無意味でしょう?

「そう。
あなたは、それを手に入れるまで、欲望を追求しなくてはならない。
極論を言うなら、どのような類のものであれ、私以外から生み出される欲望は、すべて悪だ。
だが、私は何故、欲望、つまり悪を創り出したのかと言う事だよ。
あなたは、自分の欲望を追求する。
あなたは、自分の望みを叶えようと、足掻き、挑戦するだろう。
心身ともに疲れ果て、絶望し、最後には、もう十分だという心境になる。
その時、あなたは、既に手に入れていた事に気が付くだろう。
つまり、その欲望は、あなた自身の本当の欲求では無い事に気が付くのだよ。
それは、非常に苦しい体験だ。
だが、自身の闇を体験せず、何故、自身の天国を体験できるのか?」

それが、天国へのプロセスなのですか?

「そう。
人は、誰でも、自身の大いなる光を体験する為に、深い闇も体験する。
夜明け前が一番暗いというのは本当だ。
しかし、あなた自身はなくならない。
最後の最後に残ったものが、純粋さ、情熱、つまり、本当のあなた自身だ。
そうした人達でなければ、この世に天国は創れない。
だからこそ、欲望の中で足掻き、その為に、絶望から抜け出せない人達を蔑んだりしてはならない。
だったら、人が、そこから、抜け出せるように努めなさい。」

しかし、それも一つの、欲望ではないのですか?

「いや、それは、私の欲求でもある。
私の欲求は純粋なものだ。
それ以外は何一つ必要としないものだから。
あなたは、真の王とは、そして真の賢者とは、何かを知っているかな?」

いや、分かりません。

「真の王とは、全てが王であるならと考える者だ。
自分と同じように、他人に対しても、王の尊厳を与える者。
それが、まごう事なき真の王者である。
真の賢者とは、全てが賢者であるなら、と考える者だ。
自分と同じように、他人に対しても自分以外は何一つ持たずに生きていける事を証明させ、励ます者。
それが、まごう事なき、真の賢者なのである。
だから、他人を自分自身に、依存するように仕向けた全ての欲求から、自由になりなさい。
そして、結果についてあれこれ考えない事だ。」

それが天国になるのですか?

「そうだ。
あなたが考える天国は、そうだろう?
天国にいる者は、結果を欲しない。
だから、人に知られず、有名ではないかも知れない。
何もしていないように見えるので、尊敬も、されないかも知れない。
それどころか、蔑まれ罵倒されるかも知れない。
しかし、そうした者だけが、この世に天国を創り出しているのだ。」
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2012/09/27 Thu
修験道の開祖、役行者は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した呪術者ですが、熱心な優婆塞として知られています。
優婆塞とは、在家の仏教徒の事ですが、彼が、法華経の行者だった事はあまり知られていません。

役行者は葛城山系の二十八カ所に、二十八章ある『法華経』の一章一章を納めて経塚としたという伝説がありますし、道昭法師が新羅の国で五百の虎の請いを受けて法華経の講義をした時に、虎集の中に一人の人がいて日本語で質問してきた者がおり、名を尋ねると、「役優婆塞」と名乗ったそうです。

法華経とは、収めた者は、 必ず世間から迫害されると予言される、キリスト教やユダヤ教にも共通する「受難劇」で、確かに役小角は、無実の罪で流罪にされています。

日本霊異記によれば、葛木山の神である一言主が人に乗り移って文武天皇に役の優婆塞の謀反を讒言した。
優婆塞は天皇の使いには捕らえられなかったが、母を人質にとられるとおとなしく捕らえられた。
伊豆島に流されたが、昼だけ伊豆におり、夜には富士山に行って修行した、とあります。

そう、役行者は、日本で初めて富士山に登った人物でもあるのです。


さて、数々の修験道場を開山した、役行者ですが、富士山の祭壇に役行者の姿ありという事で、山梨県内にも数々の足跡を残しています。
面白いのは、県内の足跡の多くは、富士山を祀る山に出没し、その後、信仰の対象となったり、修験道場を開山しているという点なのです。

つまり、彼は、富士山を法華経そのものと考え、日本列島を巡る事で、富士山を中心とした法華経の曼陀羅を完成させたのではないか?そう思うのです。
ですから、そうした視点で、役行者の足跡を追ってみると、非常に面白のです。

さて、法華経に強い影響を受けた大本教という教派神道の宗教があります。
開祖は出口なおと、聖師出口王仁三郎という二人の人物ですが、その中に日本列島は、世界の雛形という考えがあります。
日本は世界そのものと対応し、日本で起きることは世界で起き、世界で起こることは日本で起こるといった考え方です。
また、北海道は北アメリカ、本州はユーラシア、四国はオーストラリア、九州はアフリカに対応しているのだそうです。

もっとも、こうした考え方は、選民思想にもなり得るものであり、扱いを間違うと非常に危険なものです。
しかし、大本教の二大経典の大本神諭には、世の終末についての記載があり、日本は必ず世界から迫害を受けると言うのです。
ですが、その後、奇跡的な復活を遂げるとあります。

僕は仏教の経典の中で、法華経が一番好きです。
法華経は二十八品からなる長い経典です。
しかし、その二十八品の中に、法華経とは一体何であるかという事については、一切書かれていないのです。
僕は、それこそが真実なんだと思うのです。

真実を告げる者や、真実に生きる者は、全ての偽りにとっての敵になる。
ですが、真実は真実であり、決して消し去る事も、塗りつぶす事も出来ない。

もしも、日本が法華経そのものであるなら、日本は、ありとあらゆる偽りからの受難を受けるでしょう。
大本から派生した日月神示には、「北から来るぞ」とあります。
ですが、一人一人が、真実に生きる限り、それは不滅なのだと思うのです。
集団ではなく、個人が真実である限り。
日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説きました。
しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いています。
つまり、その人の真実の前には、誰一人逆らえないのです。
だって、それが真実なのですから。

更に日蓮は、このようにも述べています。
仏教は西方インドから東方の日本に伝わったが、日本においてまことの仏教が究め尽くされ、やがてインドへも伝わり、世界へも弘まるであろう、と。

僕は、どのような組織や宗派には属していませんが、日蓮の言ったとおり、そうであるなら本当にいいな、と思うのですが、皆さんはどうですか?

諦めちゃってます?

諦めたらそこで試合終了ですよ!

おわり。
Category: 未分類
2012/08/21 Tue
神と仏の違いを教えてください。

「そうした分断は、私の教えではありません。
本来、神も仏もないのです。」

そうなのですか?

「そうです。
しかし、あなたが、本当に聞きたい事は、私は理解しているつもりです。
では、神について語りましょう。
つまり、神とは、国や民族、更に土地や思想に因るものです。
理解できますか?
従って、あらゆる国家間の紛争、ある集団同士の対立などは、その背景に存在する人々を集結させる意思こそが神なのであり、それによって起る摩擦、つまりこれが神々との戦いと呼ばれるものです。」

それは、どのような小さな摩擦や紛争でもそうなのですか?

「そうです。
もちろん、社会的に影響力が強くなればなるほど、その背後に存在している神も大きな存在です。
それは、個人においてもそうですね。
もっとも、これはイメージなのであって、抽象的なものです。
ですが、事実として、神と呼ばれる概念そのものは、決して自由にはなり得ないのです。」

では、神とは、どのような存在であろうと、皆、不自由なのですか?

「何かに因るものなので、決して自由にはなれません。」

では、これがあなたの教えなのですか?

「違います。
あなたがそう言っているのですよ。」

…分かりました。
では、あなたと、神との違いを教えてください。

「違いなど何もありません。
何故、あなたはそれほどまでに違いを強調するのでしょう?
いいですか、私の教えは一つしかありません。
それ以外は、全て後世の創作です。」

では、それについてお話下さい。

「いいでしょう。
あなたが本当に聞きたがっている事について話しましょう。
私は、何もしなかった。」

え?

「私は全てを許したのです。
自分自身を。
それ以外何一つしなかった。
ですから、それが、私の唯一の教えです。」

では、それが至高の教えなのですか?

「まだ理解できませんか?
至高の教えなどありません。
私は、許す事、それ以外、何一つしなかった。
そして、この輪廻のサイクルから降りたのです。」

では、仏の悟りや宇宙の真理とは一体どのようなものなのですか?

「そんなものはありません。」

そんなものはない?
それがなければ人は迷ってしまわないですか?

「いいですか?
それが在るから、人は迷うのです。
迷っているからこそ、それを求めるのです。」

では、真理を追究したり、悟りを求めるのを止めれば良いのですか?

「何故、止める必要があるのです。」

申し訳ありませんが、あなたの言っている事が理解できません。

「では、聞きますが、私が語る言葉を、理解する必要が、どこにありますか。
私が語る言葉に何の価値があるというのでしょう?
私は何者でもないと言うのに。」

・・・。

「仕方ありませんね。
では、神と仏の概念についてお話しましょう。
神とは、何かに因る者、これは理解できますか?」

なんとか…。

「仏とは、因らない者です。
つまり、どのようなものにも、属していません。
誰の味方でもないし、誰の敵でもありません。
相反する二つの極を同時に持つ者が仏なのです。」

そんな生き方が可能なのですか?

「可能、不可能の話をしているのではありません。
するか、しないかでもないのです。
それは、本当に微妙な生き方なのですから…。
ですが、これだけは言えますね。
あなたが、存在する全ての自分自身を許す事が出来るなら、サイクルは終了します。」

それが死なのですか?

「あなたが言っているのは、肉体的な死についてですか?
そもそも、死などと呼ばれるものが、あり得るのでしょうか?
皆が死ぬと言うから、死ぬような気になっているだけではありませんか?
分からないからこそ、怯えている。
現にこうして、私はあなたの目の前に存在しているというのに。
いいですか、だからこそ許すのです。
それこそが、不滅の教えなのではありませんか?」
Category: 未分類
2012/08/13 Mon
エネルギーについて、天照大神からお話がある模様。
さて?

「何故、我の力を使わぬのか?」

ああ、太陽光発電とかって事ですか?
原発も再稼動されちゃったし、どうしたもんなんすかねえ…。

「たとえ、電力が足りていようとも、国家は原子力を使い続けようとするじゃろうの。
何故か?
それは力を握っていたいからじゃ。
だからこそ、政治家どもはあてにはならんぞ。」

何となく、それは分かりますがね。

「何もエネルギーは、日光だけではないぞよ。
この地には、八百万の神々の力が宿っておる。
それは知っておろう?
ならば、その者達の力を使うがよい。」

ふむ…。
例えば?

「この世には、エネルギーになるものが満ち溢れているという事じゃ。
出湯には、オオクニヌシやスクナビコナ。
あるこーアルコールには、大物主の力が宿っておるぞ。
風はシナツヒコ、水の流れは龍の流れじゃ。
そうした力を使えば良いのじゃ。」

つまり、自然から賄えるエネルギーって事ですか?

「この国の資源は有り余るほどじゃぞ…。
無いと申している輩は、悪の手先ぞ。
現に、おぬしらは、三百年もの長きの間、他国との交流などなくとも、争いも無く平和に過ごす事が出来たではないか。
その事実を忘れてはいかんぞ。」

しかし、今の国際社会では、そうはいかないですよ…。

「ほっ、何を馬鹿な事を…。
過去出来た事が、何故、今、出来ぬのじゃ?」

それは、そうですけどね。

「出来ぬと申すは、単に怠慢という事じゃ…。
最も大事な力を、国家や誰かに委ねるからそうなるのじゃ。
大事なものを人任せでは、それでは、まかり通らぬわ。
つまりは、自力で守らねばならぬという事よ。
これらは、全ておぬしらが招いたツケ、身から出た錆じゃ。」

確かに、エネルギーに関しては買う側から売る側にシフトしてしまえば、何かにつけて脅される心配は無いですよね。

「そうじゃ。
これからは、それらの力は、個人が、つまり、おぬしらが握らねばならぬのぞ。
エネルギーは自給自足じゃ。
社会は、循環が基本じゃ。
最も小さな個人が、地域が自給自足できるようになれば、そして、それが大きく広がっていくなら、この世界のあらゆるシステムは崩壊するぞ。
それこそが、国民主体の政なのぞ。
うれしうれしの世になるぞ。」

まあ、それはわかりますがね。
それでは、国家として成り立たないでしょう?

「競争、消費に幸せなどあるものか!
自分達の力で切り抜ける、そうなれば、また鎖国しても良いのじゃぞ?
それこそ、他国に対する最も強い脅しじゃ。
核よりも、強い力じゃろう?
今まで散々馬鹿にされてきた仕返しじゃ。
それこそ、痛快じゃと思わぬかえ?」

あなたは、何かとてつもなく危険な事を言っている気がするんですけどね?

「何が危険なものか。
それこそ、平和であり、自立の道であろう?
外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれておりても、まだ目が覚めんか。」

やはり、国家間にはナショナリズムという摩擦が、どうしても生み出されてしまうものなのでしょうか?

「国家として、戦争の経験値が低い国は、総じて戦闘的じゃな。
嫌という程の争いの経験があれば、人は自然と穏やかになるもの。
分かるか?」

ふむう。

「更に、負の記憶が反転して、支配したいという欲求に変わる。
それが、未熟というものよ。
自らの感情を抑えられぬ。
そうした輩と、無理に付き合う必要がどこにある?
だからこそ、付き合いたくない者達とは、無理して付き合う必要はないのじゃ。」

まあ、でも本当にそうなったら痛快って言えば痛快ですね。
我々は、我々の力でやっていくから、放って置いてくれって。
いやあ、自給自足が可能になって、うちは鎖国しますって宣言すれば、他国は度肝を抜かれるでしょうねえ…。

「ほーほっほっほっ。
何もそうせよと言っている訳ではないぞ。
この程度の気概は持て、と言っておるだけじゃ。
それだけの力が、この国には眠っておるのじゃからの。」
Category: 未分類
2012/08/12 Sun
「あなたがあなたである限り、絶対に私の事を疑ってはいけない。
私は、あなたを殺さない。
あなたが、自分自身を殺さない限り。
私の名を使う事が、どれほど危険な事か、あなたは気が付いている。
だったら、尚の事、私の名を使いなさい。
私の名において、命を賭けなさい。
私の名において賭けに勝つ事が出来たなら、あなたは私だ。」

なる程、あなたはアッラーフ、この世で最も甘く美しく優しく危険な神なのですね。

「いや。
全てはあなたのイメージによるものだ。」
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